子どものゲームの時間を制限してみたことあります?
もちろんあります。でも、それ、意味ないです。
子どものころ、私の家は夜8時以降のテレビを見せてくれませんでした。昭和のドラマ最盛期、テレビ文化真っ盛りの時、クラスの話題に入っていけないのはなかなか厳しかったです。何とか話を合わせてコミュ力で乗り切ってきましたが。私はテレビを観ることにいまだに罪悪感があり、こんなの見ていていいのかなという気持ちが正直あります。妹は反動で大人になってからテレビもアニメもめちゃくちゃ見て、映像の仕事に就きましたが。
自分の子ども、もう成人していますが、DSを買うのがかなり遅かったです。当時は同年代の子どもはもちろん、保育園の子もDSを持っていて、公園での遊びもDSが中心でした。自分で買い与えるのにも、なんとなく後ろめたさがあって、小学校4年生の時にサンタからもらうようにしました。電源を入れてすぐ使いこなす姿に、今の子は違うんだな、こういうデバイスを瞬時に使いこなすんだと、びっくりしました。スマホも高校が決まってからにしました。依存してしまうと思ったからです。
今となっては、こだわりすぎていたなと思います。スマホを持っていようが、ゲーム機をもっていようが、そんなことは関係なかった。関心のあることはなんでもいいから、認めてあげたらよかった。周りの友達に合わせる必要はないけれど、デジタルがこんなにも生活に密着してなくてはならないものになっている。勉強ができなくなる、学力が落ちる、それをゲームのせいにするのはナンセンスだ。ゲームって一口に言っても、私の理解を超えるものだ。私はスーパーマリオとかエキサイトバイクとかのファミコン世代だが、今はマインクラフトみたいに都市計画したり、建物を設計したり、プログラミングができる、それもゲームだ。MMOGていうのもある。知らなかったけど、マッシブリーマルチプレイヤーオンラインゲームといって、インターネットを利用した仮想空間で、それこそいろんなゲーム、アクションゲームとか、私たち大人の理解を超えたチームプレイでゲームをする。それも世界中の大勢の人と。それって、すごく大事なことじゃないの?地球規模の仕事ができる。すごいよ。そもそも日本の学校の勉強というのが、意味がなくなっている。というか、偏差値教育、主要教科の押し付け、子どもを型にはめる教育、うんざりしてくるのは当たり前で、ゲームやインターネットのせいではない。
私の子どもは学校に行っていません。学校が嫌いと言っています。学校そのものが。私も嫌いでした。でも学校に行かない子どもを見ると、行けないんだ、行かせなきゃという気持ちになってきます。なぜ行けなくなっちゃったんだろう、私が悪かったのかなと自分を責めてみたり、悪いところを探したりします。でも、学校の押し付ける教育、みんなの個性を無視した画一的な座学に疑問を持つようになりました。
自分らしく生きるってことは本当に大変。子どもにこんな思いさせたくない。どうにかしたいって思います。